16/06/26 NHKスペシャル「マインドフルネス」で見えてきた世界 Posted on 2016年6月26日 by onedhamma_ryodo 2016(平成28)年 日曜ワンダルマ坐禅会 山下良道(スダンマチャーラ比丘) http://ia802902.us.archive.org/11/items/Onedhamma2016/OneDhamma_160626_001.mp3
お話しの最後の部分で「マインドフルネスは先発ピッチャーに戻る」という発言がありましたが、ここがよくわかりませんでした。 先発ピッチャーは、マインドフルネスができない。気づきは、リリーフピッチャーによってできる。ということは、NHkの番組などで放映されているマインドフルネスは限界がある。ほんとうのマインドフルネス瞑想ではない。アメリカなどで流行しているマインドフルネスは、有心のマインドフルネスであってそれは、所詮、映画の中でのマインドフルネスであるという意味で「マインドフルネスは先発ピッチャーに戻る」と仰ったのでしょうか? 私なりの解釈ですが、自我が無我になることはない。自我はどこまでも自我である。自己の二重性を無我と自我に分けて考えてみると、無我=深層の自己、つまり次元のちがう自己が青空のように立ち上がり、有心の自己=自我を超えた世界がリアルに出てくることにより初めてマインドフルネスな状態になるということとお話しを理解しましたが・・・・・・。 NHkの番組放映を見てから、ラリーローゼンバークの「呼吸による癒し」を読み直しています。 返信
お話しの最後の部分で「マインドフルネスは先発ピッチャーに戻る」という発言がありましたが、ここがよくわかりませんでした。
先発ピッチャーは、マインドフルネスができない。気づきは、リリーフピッチャーによってできる。ということは、NHkの番組などで放映されているマインドフルネスは限界がある。ほんとうのマインドフルネス瞑想ではない。アメリカなどで流行しているマインドフルネスは、有心のマインドフルネスであってそれは、所詮、映画の中でのマインドフルネスであるという意味で「マインドフルネスは先発ピッチャーに戻る」と仰ったのでしょうか?
私なりの解釈ですが、自我が無我になることはない。自我はどこまでも自我である。自己の二重性を無我と自我に分けて考えてみると、無我=深層の自己、つまり次元のちがう自己が青空のように立ち上がり、有心の自己=自我を超えた世界がリアルに出てくることにより初めてマインドフルネスな状態になるということとお話しを理解しましたが・・・・・・。
NHkの番組放映を見てから、ラリーローゼンバークの「呼吸による癒し」を読み直しています。