一法庵とはどういう場所なのか?

一法庵の歩み

開闢落慶 昭和60年(1985年)11月10日 一法菴開闢落慶啓白文

開山 飯田利行博士(僧名は一法利行大和尚)駒澤大学、二松学舎大学教授等を歴任。東京四谷の全長寺、南足柄市天王院の住職を務める。曹洞宗を代表する学僧として宗門僧侶に漢詩(引導法語)の作り方の指導をする。著書多数。特に良寛の研究で高名。

開基 山下良章 一法庵殿基真良哲大居士

山下良道の父である山下良章は、都立田園調布高校の生物の教師をした後、独学で司法試験に合格し(第十九期)、東京の銀座で法律事務所を構えて長いあいだ弁護士(東京第二弁護士会所属)として活躍してきました。山下良章は戦時中は、海軍機関学校生徒として祖国防衛のためにお国に命を捧げる訓練をしてました。終戦間近になると、回天という人間魚雷で特攻攻撃に出陣する兵士たちを見送りました。終戦後は復員船に乗り、戦地からの引き揚げ業務に携わったあと、大学に進みました。

還暦を過ぎた頃、自分の生涯の仕上げとして、ご縁を頂いた鎌倉稲村ヶ崎の地に一法庵の建立を志しました。田園調布高校の教師時代に知り合った飯田利行博士に相談したところ大いに賛成されて、飯田博士を「開山」として招聘し、無事に昭和60年(1985年)11月10日に堂宇が竣工され、落慶法要も行われました。その間の経緯は、一法菴開闢落慶啓白文に詳細に書かれてますので、どうぞ読みください。漢文、訓読文、現代語訳の構成になってます。一法庵の建立にあたり、関係者のどういう願いが込められてるかが理解されるでしょう。

一方、息子である山下良道は、大学卒業後、昭和57年(1982年)に兵庫県美方郡浜坂町(現在は新温泉町)の紫竹林安泰寺に入門し、翌年4月8日(降誕会)に、藤田一照師とともに、曹洞宗の出家得度を受けました。しばらく、安泰寺、四国の新居浜の瑞應寺専門僧堂などで修行中だったので、一法庵は山下良章が週末を過ごす場所として使われていました。その間、海軍時代の先輩達を含む先の戦争の犠牲者の鎮魂のための法要、飯田博士による良寛詩の講義(下の写真を参照)、俳句の会などが活発に行われました。

山下良道は日本の道場での修行のあと、曹洞宗から開教師として派遣されて、昭和63年(1988年)より、アメリカのマサチューセッツ州のヴァレー禅堂、続いてイタリアのファーノのステラ・デル・マリーノ禅センターにて、欧米の人達への坐禅の布教に努めました。日本に帰国後は、京都曹洞禅センター、渓声禅堂などで坐禅指導したあと、平成13年(2001年)にアジアの仏教国に向かいました。ミャンマー、スリランカでテーラワーダ仏教、インド、ネパールでチベット仏教の勉学に努めたあと、平成18年(2006年)に帰国しました。その頃、父である山下良章は高齢のために、東京大田区の自宅から鎌倉の一法庵まで通うのが困難になっていました。そこで世代交代し、山下良道の日本での活動の本拠地として使われるようになりました。こうして遂に、一法庵が本格的な修行道場として機能し始めたのです。準備期間を経て、平成19年(2007年)7月から、毎週末の瞑想会が定期的に行われるようになりました。同時に、毎週の法話をポッドキャストして発信し始めました。これまでのすべての法話はこちらから聞くことが出来ます。

一法庵の宗旨=ワンダルマ仏教

山下良道が、2007年以来、鎌倉一法庵を中心に日本各地、及びインドや台湾などで教えてきたものは、「ワンダルマ仏教」という名称で呼ばれます。曹洞宗の教えでも、テーラワーダ仏教の教えでもなく、それらを全て含んだ「ワンダルマ仏教」。それは一体何かを解説いたします。

ワンダルマの考え方と似ているものに、チベット仏教の伝統の中のリメ(超宗派)運動があります。それは、チベット仏教の宗派間で見解の対立があった時、その地点で争うのではなく、何よりも釈尊、インドの学僧の見解に立ち戻ることを重要視してきました。20世紀前半に活躍されたジャミャン・ケンツェ・チョキロドロ・リンポチェ(1893 – 1959)などが代表者です。一法庵のワンダルマ仏教はその現代における拡大版です。

2500年の仏教の歴史を俯瞰するとこうなります。釈迦族の王子としてルンビニの地でお生まれになったシッダールタ王子は、29歳の時に、すべての人間が生まれてしまった以上避けられない苦しみからの解放を求めて、カピラヴァストゥの宮殿を抜け出て森の中に入って行きました。6年の修行のあと、ブッダガヤの菩提樹の根元で、苦しみから完全に解放される真理(ダルマ)を発見され、仏陀(目覚めた人)となります。その後、自分が発見した真理を一番理解してくれそうな昔の修行仲間に会いに、ヴァラナシの近くの鹿野園まで向かい、他者への真理の伝達というダルマ・トランスミッションに成功しました。そのときから、仏教は仏陀個人のものではなく、人類の共通の宝になりました。

仏陀は80歳でクシナガラに於て涅槃に入られるまで布教を続けられました。その後も、仏教のサンガは順調に発展してゆき、仏陀の教えはインド国内の隅々まで広まったあと、紀元前後頃には国境を越えて海外にまで広がってゆきました。様々な複雑な展開があったでしょうが、あえて簡略化すると21世紀に現存している仏教から推測すると、主に三つのルートで伝えられました。

1,テーラワーダ仏教(パーリ語経典)

  インド → スリランカ → ミャンマー、タイなどへ広がる(カンボジア、ベトナムの一部も)

2,東アジア大乗仏教(漢訳経典)

  インド → シルクロード → 中国 → 朝鮮半島 → 日本(台湾、ベトナムなども同じ流れ)

3,  チベット仏教 (チベット語経典)

     インド → ヒマラヤ山脈 → チベット(現在はネパール、インド、ブータン、モンゴルなどにも)

我々が、現在地球上を見渡すとこの三つの仏教の伝統が広がっているのが分かります。その三つの地域には、沢山のお寺があり、僧侶たちがそこで勉学、修行し、一般の人に布教し、仏教が社会の中に溶け込んでいます。交通機関が発達した現在では、我々はどの地域のお寺にも実際にゆくことができて、そこに在住されてる僧侶の方に教えを請うことができます。場合によっては一緒に修行することも可能。つまり、いままでテクストでしか知り得なかった他の伝統の「現場」に行き、その場の雰囲気を体感することが、例外的な冒険家(河口慧海師など)でなくても、志があれば誰にでも可能になったのです。

江戸時代に日本のどこかの村で生まれた人にとっては、その村に唯一あるお寺の和尚さんの教えが仏教の全てでしたが、21世紀の今は、状況が全く違います。わざわざ海外に行かずとも日本にいながらでも、テーラワーダ仏教の長老達、チベット仏教のリンポチェ達から、日本語で直接教わることもできます。

では、何故、日本仏教以外の他の伝統も学ばなければいけないのでしょうか?それは一つの伝統の中に留まっている限りは、どうしても突破できない限界があるからです。その限界を感じたとき、他の伝統に真摯に向かいあうことを通して、様々な伝統の根源にいらっしゃる仏陀その人が見えてきます。その場所に戻ることが限界突破のための唯一の方法だからです。

私は東アジアの大乗仏教の中で生まれ育ちました。山下家のルーツは石川県の能登にあって、その地は浄土真宗の信仰が土にまで染みこんでいます。「能登はやさしや土までも」と言われるほど。学校の休みの期間を過ごした祖父母の家でその空気をたっぷりと吸ったあと、成人してからは、曹洞宗の中で出家得度して、澤木興道老師、内山​興正​老師の伝統で只管打坐の修行を約18年続けました。

(アメリカ開教師時代、マサチューセッツ州のヴァレー禅堂にて。私が左側で、右に座っているのが藤田一照師。1990年頃)

只管打坐とは次ぎのような大前提、世界観を持ちます。我々は最初から清浄、完璧(道元禅師の普勧坐禅儀の冒頭の道本円通を参照)である。だから、心が煩悩によって汚れてるから、坐禅によってその汚れをキレイに掃除してゆこう、ということではないのだ。元々清浄なところ、完璧なところに落ち着き、只管に打坐をする、それでもう充分なのだという教えです。道元禅師は「修証一等」と言われ、澤木興道老師は「なんにもならない坐禅」、つまり何かをこれからする必要のないのが坐禅だと言われます。

この考えは他の宗派も基本的には同じです。山下家が所属してきた浄土真宗では、我々は煩悩具足の凡夫だけども、西方浄土にいらっしゃる阿弥陀仏によって既に救われている存在なのだ。お念仏という努力によってお浄土に行くのではない。既に救われてることを感謝するのがお念仏なのだ。只管打坐と全く同じ論理構造です。日本の大乗仏教は、宗派の違いはあっても、その大前提はこのように全く同じです。

「我々は最初から清浄である、完璧である」という大前提が素直に納得できたらいいのですが、やはり実感できない、リアルに感じられないことが、曹洞宗の修行者には大きな壁として立ちはだかります。でも、曹洞宗の中にいる限り、大前提を直接確かめようとしても、堂々巡りになってしまうのです。そこでこの大乗仏教の大前提が、いったいどこから来たのか?を、曹洞宗が成立する以前に遡って探ることで、なんとか行き詰まりを打破できるのではないでしょうか。今まで確かめようがなかった大前提を、自分自身がリアルに、心から納得できたら問題は解決します。後は、自信をもって只管打坐するだけ、浄土系仏教だったらお念仏するだけになります。

では、そもそも大乗仏教とはどこから来たのかから、話を始めましょう。大雑把には以下のような歴史になっています。仏陀が涅槃に入られたあと複雑な展開を遂げてきましたが、紀元前後のころ、仏教は大きく二つに分かれてしまいました。大乗仏教という新しい運動が起こり、その流れに進んだひと達と、留まったひと達の二つです。

釈迦牟尼仏陀 → 初期仏教 → 大乗仏教

             ↘ 大乗仏教を拒否 → テーラワーダ仏教

大乗仏教に行かなかったひと達の伝統は、現在ではスリランカからミャンマー、タイへと広がったテーラワーダ仏教として残ってます。

大乗仏教の流れは、インドからヒマラヤ山脈を超えてまず東アジアの漢字文化圏へ、その後チベットにも広がってゆきました。

以上が極めて大雑把な歴史ですが、では曹洞宗の中でその大前提を直接確かめられずに行き詰まった我々はどうすべきでしょうか?どうやらテーラワーダ仏教にヒントがありそうだとわかります。何故なら、大乗仏教以前の仏教が持つ根本的世界観を伝えていそうだから。それと大乗仏教の世界観を比べると何かが見えてくるのではないだろうか?大乗仏教が生まれてきた秘密もわかるかもしれない。

つまり、大乗仏教の伝統の中で、何十年も徹底的に修行して、その世界観を身につけた人間が、一旦それを棚上げして、真っ白な気持ちで、現在のテーラワーダ仏教の中に飛び込んだら、きっと何かが見えてくる、、はず。

(ミャンマー時代、パオ森林僧院にて。2001年)

こうして、大乗仏教の「我々は最初から清浄であり、完璧である」という大前提がないとされるテーラワーダ仏教が、果たして実際にどうなっているのか?を探りに、私はミャンマーへ向かいました。2001年の夏、日本仏教の枠の外への旅立ちでした。

不思議なご縁をいただいたパオ森林僧院というミャンマーで最大規模の瞑想道場で、パオセヤドーという当代随一の指導者のもと、テーラワーダ仏教の修行の基本書である『清浄道論』を文字通りにおこなうパオメソッドを、4年間実践しました。清浄道論のタイトル通り、心を清浄にする方法です。つまり只管打坐が全否定していた方法の最中に飛び込みました。うーん、やはりここまで違うのか!と今更ながら驚きました。この違いは本を読んだだけで理解することは不可能でしょう。実際にその現場に飛び込んで、サンガの中で正師の指導を受けつつ、仲間の比丘達と一緒に寝食を共にしながら、フルタイムで修行しないと何も見えてきません。

こうして、テーラワーダ仏教には、予想通り大乗仏教の大前提が一切なかったことを、改めてリアルに確認できました。そこにある世界観は、まさに大乗仏教の真反対でした。我々の心は煩悩で汚れてるから、瞑想によって掃除しなければいけない。その掃除の方法は、目の前に現れた、自分にとって都合がいいもの、悪いものに対して、いちいち「執着」と「嫌悪」という反応をしないで、ただ観察(ヴィパッサナー)することで、その煩悩を段々少なくして、最後はゼロを目指すという修行でした。

ここまでなら、大乗仏教とテーラワーダ仏教は、全く違う世界観に立つ相容れない関係になります。後は、自分がどちらかを選ぶだけです。選び取らなかった伝統は、自分には縁のないものになり、お互いに別々の道を歩いてゆくことになります。心の中で、相手のことを下に見ながら、、、

ところが、、

私はパオセヤドーに懇切丁寧に指導されて、瞑想の階段を登ってゆき、最後には涅槃(ニッバーナ)へ入って行くことが出来ました。約3年間かかりましたが、ここまでは理論通り、『清浄道論』に書いてある通りの展開でした。本に記述されてることが、そのまま実際の瞑想体験として起きてくるのには驚きましたが、それは既知の範囲でした。ところが、その最終段階にきて、とんでもない大逆転劇が待っていたのです。なんと「我々は最初から清浄であり、完璧である」という大前提、それがリアルに実感できないからこそあれだけ苦しんできたものが、ありありと本当にそうだと分かってしまったのです。その詳細は、これまでの法話で何回も話してますので、そちらも参照してください。

大逆転劇の鍵を握るのが、普通のシンキングマインドが生滅滅已した、つまり心が生じて滅すること自体が終わったいわば全身麻酔状態の空なる場所を、その外から静かに観察しているもう一つの意識でした。いわば「謎のX」とでも呼ぶしかないものを発見してしまったのです。パオセヤドーに「涅槃に入ったその状態を認識しなさい」と指示された時に。その「謎のX」こそ、「我々は最初から清浄であり、完璧である」という大乗仏教の大前提そのものだったのです。この世界を「箱」に喩えるなら、箱の中が全てと思っていたら、箱の外があった。そこは清浄で完璧であった。そうなると、もう話の全ての前提が変わってしまったのが分かりますね?

「謎のX」が破壊した「話の前提」とは何でしょうか?それは今まで「世界と自分」について、疑いもしないほど固く信じていたもののことです。我々が普段疑うこともなく信じてる「世界」はこういうものでしょう。世界というのは自分とは関係無く存在している。その世界の中に(まずは母親の胎内に)、我々は気づいてみると生まれ落ちてくる。短い期間(長くてもせいぜい100年)だけ生存し、やがてこの世界から去ってゆく。我々が去ったあとにも、世界はそのまま存在する。何故なら世界は我々の外に、我々とは無関係に客観的に存在するものだから。

そして「自分自身」を構成するものは、まずこの物理的な肉体。その一部である脳という器官には思考する機能(シンキングマインド)があり、心には感情(エモーション)がある。つまり物理的な肉体、シンキングマインド、エモーションの三つで構成されたものが自分である。仏教の分類はもっと複雑ですが、論点を明瞭にするために、今はあえて略します。

もしこの世界観、自己観のままで生きてゆくと、必然的に人生というのは「苦」そのものになります。それを仏陀は、四聖諦の最初の「苦諦」と呼びました。まずこの自分を守るために、あらゆるものと戦わなければいけない。その戦いも戦争のような文字通りのものから、現代では抽象的なものにまで広がってます。子どもの頃から常に他人と比較されて、あらゆる種類の「偏差値」で外部から評価される。偏差値は学校時代の試験の成績だけにとどまらず、学歴、職歴、運動能力、身体の美醜、収入、家柄、などなど一生涯つきまとう。必死のマウント合戦のなか、自分の偏差値が他人より少しでも高ければ最初は勝てるけど、それを上回るひとがすぐに現れて、最後には全員が劣等感のなかで討ち死にしてゆく。そして、人生後半戦には、生老病死が襲ってくる。どんなに健康に気をつけていても、最後には「老病死」の波に否応なくのみ込まれてゆく。そこから逃れたひとは有史以来一人もいない。

それではあまりに生きるのが辛すぎるからと、苦しみからの解放を約束する「宗教」が出現する。これまでの世界観のなかで、宗教はどこに位置づけられるでしょうか?この世界のどこかに、つまり私の外に何か特別な存在がある。それは神や仏と呼ばれてきました。その神や仏に救いを求めるのが「宗教」なのだ。神や仏が我々を苦しみから救ってくれるのだ。でもそれには致命的な欠陥があります。そんな有り難い神や仏が本当に実在しているのか、この肝心要のところを人間には確かめようがないからです。特に現代人には、昔の人のような素朴な信仰を持つのは困難になってきています。

そこで自分の外部にある神や仏に頼るのではなく、自力でなんとかしようとする。自分をよく観察すると、私の心は怒りや欲望という煩悩で汚れている。罪深い私、汚れた私、だから苦しむのだ。その汚れを掃除して清浄にしてゆけば、汚れがゼロになった悟りという救いの場があるはずだ。という別のかたちの宗教も出現しました。でも、この修行も理論通りにはなかなかうまく行かない。何故なら心の汚れをきれいにしたいという欲望もまた煩悩であるので、再び心は汚されてしまい、根本的自己矛盾から逃れられない。

このように世間の中で熾烈な生存競争を生きても、世間の外で「宗教」に救いを求めても、最後のところで必然的に行き詰まってしまっていたのが、我々の身も蓋もない現状でした。この行き詰まりの壁を「謎のX」が根本から破壊してくれるのです。この世界と自分は、今まで思いこんできたようには出来ていない。謎のXが教えてくれるのは、箱の中にいる「私」と、箱の外からその中を観察しているもう一人の<わたし>がいる、つまり私は二重構造の存在だということ。そうなると、今までの前提がすべて根本からひっくり返るのです。

まず、自分は色々な種類の偏差値で勝手に外から定義づけられ、貶められる存在ではない。謎のXに偏差値は当てはめようがないから。箱の中の私は生老病死からどうしたって逃れられないけど、謎のXにはそもそも生老病死は存在しない(般若心経の無老死)。謎のXは、神や仏のように自分の外部にあるのかないのか確かめようがない頼りない存在ではない。しっかりと自分自身で確かめられるから、その存在は疑いようがない。それは汚れや煩悩とは一切無関係の存在。まさに大乗仏教の大前提のとおり、最初から清浄であり、完璧である。大乗仏教のなかで、各伝統によって「〜とされてきたもの」が、今では自分自身でしっかりとリアルに本当にそうだと確かめられます。

この謎のXの視点からだと、仏典は勿論、聖書すら読めてしまいます。一切の矛盾なく、クリスタルクリアな論理で、聖なるテクストを文字通りに受け止めることができます。いままでどうしても解けなかった謎の数々が解けてゆきます。インドのクシナガラで涅槃に入られたはずの仏陀が、霊鷲山で永遠の命を生きてる(法華経寿量品)ことも、金曜日に十字架の上で亡くなられたイエスさまが、日曜日には復活された(福音書)ことも、もはや無理して信じようとする必要はありません。何故なら、それは二重構造が指し示す端的な事実であるから。生死する肉体を持った仏陀とイエスが、同時に生老病死を超えた存在でもある事実です。

そういうことが分かるには、当然時間がかかりました。2004年頃、ミャンマーで初めて「謎のX」に出会った時は、あまりに劇的な展開に全身が震えるほど戸惑いました。これが何かとんでもないことを意味することは即座にわかりましたが、全体像は皆目見当もつきませんでした。その全体像の追求に、その後の人生の全てを費やしてきたと言えます。毎週の法話も、本の執筆も、すべてその「謎のX」を、サンガメンバーと一緒に追究するためでした。

では、最初に戻って、テーラワーダ仏教と大乗仏教の関係はどうなるのでしょうか。普通考えられるようにお互いに無関係で、原理的に対立しあう存在ではないのは明らかです。それどころか、テーラワーダ仏教の瞑想がたどり着く最終地点こそが、大乗仏教の誕生した場所になるのだから、お互いの存在がとてつもなく大事で、お互いを必要としています。これは今までの常識とはかけ離れてますが、二つの伝統のど真ん中を通った果てに「謎のX」たどり着いた私の最終結論です。どうあっても、そうとしか考えられません。勿論、もう少し資料による検証が必要で、それをこれから少しずつやってゆきますが。

そして、その「謎のX」の場所にいらっしゃるのが、勿論、菩提樹下で静かに微笑んでいられるお釈迦さまでした。(どうやらイエスさまも隣に座ってらっしゃる)。もうそこには後世のアジア各地で展開した伝統どうしの対立も、修行者どうしのプライドやエゴの争い、マウント取り合い合戦もない。ただ一つの真理があるだけ。そうそれがワンダルマ(一法)。

この「ワンダルマ」の追求こそが、一法庵の根本的な方向性です。

主な活動

一法庵の活動は、日帰りの瞑想会、宿泊しながらの接心、リトリートにおいて、主に下記のことを実践しています。

  • 法話(ワンダルマ仏教をあらゆる角度から追求してます)
  • ワンダルマメソッドの瞑想(四大分別観瞑想、慈悲の瞑想、アーナパーナ・サティ)
  • 青空の只管打坐(これからの課題です)
  • ウォーキングメディテーション(経行)、立禅
  • ヨーガ(アーサナ+プラーナーヤーマ)ヨーガの専門家が指導
  • 食事、お茶、作務など日常生活におけるマインドフルネスの実践
  • 仏典の勉強会
  • ダルマシェアリング(質疑応答や感想の共有)

※ 以上を鎌倉一法庵を始めとする各会場でリアルに実践していますが、その様子をzoomを使ってオンライン中継もしてます。遠隔地の方は、オンラインでの参加も可能です。参加の方法は、お問い合わせください。まず、zoomのURLを配信するLINEグループに参加していただきます。

運営方式

  • 一法庵の活動は皆さまからの喜捨によりなりたってます。決められた額の参加費を徴収することはありません。参加者の自発的なダルマへのお布施です。
  • 鎌倉一法庵及び各会場に設置されている「浄財箱」に任意のお志をお納めください。
  • ただし、外部の宿泊施設を利用して行なう宿泊や食事を含む活動(接心、リトリートなど)の場合には、施設にお支払いする実費を徴収させていただきます。
  • 一法庵以外の寺社や教会等の宗教施設を会場とする場合、会場に対する御礼の寄付をお願いする場合があります。
  • 会場に対しての寄付は、それぞれ会場で案内する方法に従ってください。(例:護摩木を納める、会場が設置している献金箱に任意の額で協力など)