20/03/08 自己曼画の「第五図」はなぜたった一つしか描かれなかったのか?

令和二年(2020) 鎌倉マインドフルリトリート 山下良道(スダンマチャーラ比丘)

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2 thoughts on “20/03/08 自己曼画の「第五図」はなぜたった一つしか描かれなかったのか?

  1. 仏教3.0を哲学するバージョンⅡを読みました

    第四図を出たけれども第五図へ行かなかった人は、
    どこに行ってしまったのか、という事については
    あまり詳しく語られていないので気になっています

    なぜ第五図は「正しい」と言えるのかということについても

  2. いつもお世話になります。
    ポドキャストの民です。
    「第五図」はなぜたった一つしか描かれなかったのか?
    これは素晴らしいと思いました。
    以前、n個の青空とか、n人の色即是空とか考えていたときがありました。
    でも、たった一つなんですよね。
    なぜ?
    この世界の外だから、思考の外で想像外で、この世の全ての外としか言い様がないものに外部があるなんておかしいし、謎は謎。
    この世界は心配と不安で出来ているけれども、そこ(彼岸)は、この世界の外だから、この世界に決してないもの、すなわち慈悲。
    外はたった一つだから、生と死の問題も解決されたし、
    開けの原点とわかるし。
    もし、そのことが本当に実感されたら、
    汝自身を愛せよ
    汝の敵を愛せよ
    生きとし生けるものを愛せよ
    となって
    般若心経の最後の
    ギャーテギャーテパラギャーテパラサンギャーテボーディスヴァハー
    着いた着いた彼岸に着いたみんなで着いた
    となって、
    慈悲そのものになる。
    よって空即是色。
    生と死の苦しみはなくなった。
    人は肉体と思考と感情が真実であると思い込んでいたものが、
    転倒夢想した。
    だから、自分とはそういう在り方をしている。
    そういう在り方をしているだけなのだから、他者の問題も解決してますよね。
    私であるけれども本当は同事に他者。

    と、勝手に考えている今日このごろです。
    すみません。
    宗教も哲学もあまり勉強してないのですが、失礼しました。

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