19/10/13 二重構造を行ずれば、したがひて現成公案す

令和元年(2019) 奥多摩御岳山 神無月接心 山下良道(スダマチャーラ比丘)

One thought on “19/10/13 二重構造を行ずれば、したがひて現成公案す

  1. 池田晶子さんのリマーク

    「 存在が謎なのではない
    存在すら謎を巡って動いている
    謎のみが存在する
    なぜ全ては謎として現われるのか
    謎が謎なのはなぜなのか
    究極の不可能
    問うことの自滅 」

    この世界観、

    このあたりが哲学と宗教の違いかも知れない
    と、今回の法話を聞いていて勝手に思いました。

    先生のご法話の中で、
    「 映画の制作者というのは映画の外にいる、
    はずだったのが、いつのまにか映画の登場人物として見てしまう 」
    ここらが特に、本当に絶望中の私にはピンと来ます。
    いつも救っていただいて、ありがとうございます。

    このあたりも哲学と宗教の違いですね。

    でも、
    第5図の、外の私も存在する意識である限り、
    自分探しの旅なのかな?
    昔の法話で「自分探し」って聞いたような。

    誰もコメントがないので、
    三回もコメントしたから気持ちも晴れて、
    これからは恥ずかしいので控えます。

    ,

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