16/05/22  ​「地獄巡り」が終わって「愉快な仏教」が始まる

2016(平成28)年 日曜ワンダルマ坐禅会 山下良道(スダンマチャーラ比丘)

One thought on “16/05/22  ​「地獄巡り」が終わって「愉快な仏教」が始まる

  1.  ご法話拝聴させて頂きました。ありがとうございます。
     この度のお話は、仏教の核心部分のお話ですから、理解には少し時間がかかるのでは?と言う印象を持ちました。
     この様な場合、他の経典を当たり教義の理解を深めるという方法がありますので、下記の経典を参考にしてみて下さい。

     「・・・なぜ人間は苦しむのでしょうか?それはすべては常ならざるもの、無常であるからでありました。それはまた、別な角度からみると、我ならざるもの(非我)を我(アートマン)とみなすところから起こるとブッダは説きます。つまり、本来自己に属さないものを自己に属すると錯覚し、それに報われて苦を受けるというのです。」・・・

     「つまり、ブッダの言わんとするところは、まず、自己に有らざるものを自己の所有とみなすこと。二つには、自己には常住不変の実体があると見なすこと、三つには自己の本質というものがあると見ること、これらを否定することが非我の内容であると説きます。「色(物質的なかたち)は無常である。無常であるものは苦しみである。苦しみであるものは非我である。非我であるものはわがものではない。これはわれではない。これはわがアートマンではない。正しい智慧をもってこの(道理)を如実に観ずべし」(サンユッタ・ニカーヤ(相応部経典)) 

    一法庵的には、無常なる我(われ)が「自我(エゴ)たっぷりの先発ピッチャー」で、アートマンと称される「人間存在の精神的原理がリリーフピッチャー」と置き換えれば理解が早いかも知れません。

     更に、自分自身を苦しめる自分自身の自我(エゴ)も、よくよく追求していったならば実は実体が無い錯覚である(すなわち「空」である。)。その事を教えている最初期の仏教経典です。(中村元博士の著書「ブッダの人と思想」第6章94~95頁より抜粋)

     仏教の思想は、微妙で深淵でとても難しいものです。だから、すぐに理解出来なくても落ち込む必要はありません。時間をかけて、じっくり自分の頭で思索を重ねられたら宜しいかと思います。
    (私も、理解するのにとても長い時間がかかりました・・・。)

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