2 thoughts on “15/04/19  死んでも死なないマインドフルネス

  1. 「死は仮想」
    我々にとっての”死”とは思考の上での”死”であり所詮thinking_mindの”死”に過ぎない、従って仮想である。心肺停止という肉体的”死”は仮想ではないが、それはその瞬間にのみ現実であり、それ以前の世界に生きる我々にとっては想像の域を出ない仮想のものである。
    「仏典に”不生不死”と書かれている」
    受精による生命誕生は理解できても、その前の有無さえ判らない。既に経験してきた自分自身の”生”すら明確に把握出来ていないのに、未経験な”死”を理解することなど出来る筈もない。”不生不死”とは”生も死も判らない、つまりは無い”ということ。
    「死んでも死なないマインドフルネス」
    mindfulnessには”死”というthinkingはない。
    「死んだら終わるマインドフルネス」
    ”死”を勝手に定義した上で展開されるmindfulnessで、その時点でmindfulnessではない。 

  2. 今回の法話の結論は「死んでも死なないマインドフルネスは、マインドフルネス瞑想をすれば判る。仏典に”不生不死”と書かれている、その意味が判る」ということですか。「死んだら終わるマインドフルネス」しかできない者に、どうして「死んでも死なないマインドフルネス」が出来るのですか?仮想空間は従来の”雲”というのは判りますが、死もが仮想とは普通には理解できないのが当然でしょう。それを言い切られるのにはもう少し説明があってもいいと思います。結局は”また別の機会に”という言葉だけが残ります。きっと、もっと良い説明の出来る方なのに残念です。今後のご活躍を期待しております。ありがとうございます。

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