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24/04/21 まず自分が裁きの座(エゴ)依存症であることを自覚する

令和六年(2024) 鎌倉マインドフルリトリート 山下良道(スダンマチャーラ比丘)

・善悪の知識の木の実を食べるとは「何が善で何が悪かは、この私が決める、裁く」という現実の始まり。神から離れて自己を中心にしたときに、その自己から見えているのは、「私にとっての善い、悪い」裁きの座、自力のみ。

・聖書における罪とは「的外れ」ということ。

【旧約聖書ヘブライ語】ハター:元来の意味「的を外す」

アウォン:元来の意味「曲げる」 ペサ:元来の意味「逸脱する」

【新約聖書ギリシャ語】ハマルティア

・罪(的外れ)は、肉:裁きの座(自己中心性)から出て、開けのない場でens(存在者)に向かう。

人間の三元論(霊・心・身体)的構造と罪(的外れ)からの解放の資料

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神冥窟ゴールデンウィーク接心

水原通訳問題が発覚直後に発表された、ギャンブル依存症問題を考える会代表の記事

人間が心と身体の存在でしかなかったら、マウンティングをせざる得ない不安

水原元通訳が今はほっとしていると、依存症の人にはわかる

 

 

 

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