17/10/22 別の部屋があることを、ジャーナを通して知る” への1件のコメント

  1. 新たな本を出版されるとのこと、非常に楽しみにしております。
    出来れば、瞑想の最終境地、只管打坐3.0が、どのようなものなのかについて、踏み込んでご説明いただければ、大変ありがたく思います。(それを知ることができるか否かによって、瞑想に取り組む熱意がまるで異なってくるからです。)
    俗に言うワンネスすら超えた、完全非相対的な知覚をするようになるのでしょうか…?
    例えば、キリスト教神秘主義カルメル修道会の、完全解脱者で在られる、バーナデット・ロバーツさんは、神は「見る者」でも「見られるもの」でもなく「見るという行為(seeing)」だと仰っています。
    ここに至れば、慈悲的行為を行う必要性すら、感じなくなるそうですが、同一性、あるいは、共通性は、ありますでしょうか…?
    長文コメント、大変、失礼いたしました。

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